手入れが好きでも、それが費用軽減に役立っているといえる?

とにかく手入れが好きだ〜って方、いるよね〜
どこかしら汚れた部分はないか、悪い部分はないかって毎日のように。
もし、それが的を得た手入れであれば、毎日が定期点検状態なわけです。
そうなると当然の事として、変化や劣化の具合は誰よりも詳しく、時々刻々とまで把握出来るわけです。
すると、そろそろ替え時だから、その際にどうせならカスタマイズしようか?なんて。
そんな風に、無駄の無い中で、個性化や性能アップを楽しめるはず。
もちろん、元の状態でも充分に使用しているわけだから、その後の変化も良くわかる。
手入れの効果をしっかりと実感出来るに違い有りません。

ところが、バイクやクルマには、車検制度って滑り止めみたいな制度がある。
家にはないんですよ〜!地震で凶器に変わるかもしれないけど、死ぬのはあんただけって決めてるのかな〜?
余談はさておき、この制度がどう噛み合ってくるかって点がポイントです。
滑り止めみたいなって書いた意味は、ユーザーは、運行前(仕業)点検程度しかしないという素人前提の制度だからです。
その流れの延長線で、整備業界は仕事のチャンスとしているし、販売業はそのコスト負担をきっかけに代替チャンスとしている。
要するに、ユーザーは、車の状態の如何に関わらず、制度に基ずく2段仕掛けの商売の罠に狙われるわけです。

結局、どちらになっても大きなコストを負担するわけですが、問題なのが、しっかりと手入れされていた場合も、そうでない場合も大差ないってところです。
いくら、機械部分がしっかりと手入れされていても、走行距離が伸びていれば、乗りっぱなしでも走行距離が少ない方が査定は上かもしれません。
まして、外観に傷や凹みでもあれば、それどころではありません。
さらに、いくら絶好調で維持していても、年式が落ちれば一様にゼロ査定。
これを、しっかりと手入れしてきたから高く取れと言うのは難しいでしょう。
むしろ、手放さずに、大切に長く乗ってあげるのが、それまでの手入れも無駄にならずにベターと思います。

では、本当に問題なのは、車検を選んだ場合です。
普段からことあるごとに手入れをしていると、車検というのは、免許更新みたく手続きだけのものとなるはず。
ところが、それを、一般の人同様に整備工場へと依頼すれば、点検基本料、基本整備料、申請代行料等と当り前に諸費用として、税金や保険金と同様に請求されます。
確かに、中途半端な手入れであれば、むしろ、していない方が、全体のコンディションや使用状態も把握しやすくて、作業も捗るかもしれません。
しかし、サービスマニュアルによって、点検基準どおりにかっちりとなされていたら?
否、恐らく、手入れが好きだって人は、新車然りのコンディションを維持させているはず。
例えそうであっても、プロの立場として、間違った手入れをしていないかと入念にみるのであればOK。
しかし、現実はどうでしょうか?
普段と違って、こういう機会には、違う目で見てもらいたいと思う、賢明なユーザーの気持ちは報われるのでしょうか?
「何もする事ないわ〜!」では済まないはずだけど‥‥‥
結果として、記録簿にはレ、レ、レ(チェック、チェック、チェック)ばかり〜
それも勢いで付けたのが、まるわかり〜
大体、マンネリの検査員に余分な事を考える回路は残っていないでしょう?
そして、見習作業員に違う目を期待するのは、まして無理じゃ?
間違った作業を期待するのなら、気持ちが通じるかもしれませんが‥‥‥
もしも、愛車がスペシャルパーツのテンコ盛り状態なら、下手に触って傷でも付けたら一大事、レンチもかけれないってのが本音?

ではどうすれば?
一番は、自分のスタイルを全うする事!
時には違う目で、なんて他人任せに逃げないで、自分で責任を全うするしかない。
ユーザー車検なら、まさに諸費用は税金、保険金、手数料といった公的支払いのみ!
代行業者でも、最低限度の費用ですむはず。

とはいえ、何もユーザー車検だけを推奨するわけではなく、プロならプロらしく、しっかりと役割を担えって訴えているわけ。
だから、依頼する側もはっきりと目的や要望を説明し、それに対して曖昧な回答の業者は選ばない。
自分の努力で、自分のレベル以上の確かな点検整備を実施できる業者を選び出す。
それ以外には、日頃の手入れを活かす道はないのかも?

閉じる